エレベータ技術のおもしろ話 第一話:エレベータの起源は古代ギリシャ時代(日本元気シニア総研執行役 榎本惠一)

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1. はじめに

私たちは日頃何気なくビルの建物や駅でエレベータを利用してます。シニアの年齢になると利用頻度は増加し恩恵を受けてます。しかし、エレベータの長い歴史と優れた技術については一般にあまり知られていないようです。それらのおもしろい話をピックアップして皆さんに紹介してみましょう。

2. エレベータの歴史

紀元前2百数十年前、現在のエレベータ(以下EVと省略)の原型となる「荷物用昇降装置」がアルキメデスにより開発されました。ロープと滑車を使って人の力で巻き上げ、荷物の上げ下ろしをしたのが始まりと言われています。 動力式昇降機が初めて稼働したのは1835年、イギリスの工場でした。当時の荷物用昇降機は、荷物を載せた「カゴ」を引っ張るロープが切れて墜落する弱点がありました。1852年になり、米国人技師のE.オーチスは、万一ロープが切れてもバネの力で「カゴ」を固定させる安全装置を開発しました。それ以降、人の輸送用としても利用できるようになって普及しました。オーチス氏はEVの製造会社を設立、1889年ニューヨークのビルに設置して以来、ニューヨークの摩天楼化に拍車がかかったと言われています。 日本で初めてモータ駆動式EVを輸入設置したのは1890年(明治23年)、東京浅草の「凌雲閣(リョウウンカク・木造レンガ造り12階建て)」でした。当時、木造12階の建物は珍しく、今も辞書で「12階建て」と引くと「昔浅草にあった凌雲閣のこと」と出てくるくらいです。日本EV協会では毎年11月10日を「エレベータの日」と定めています。当時、世界でも目新しいEVを設置した凌雲閣の開業日を記念日として採用しました。凌雲閣に設置された当初のEVはトラブルが頻発し、設置6か月後には警察庁から危険な乗り物として使用を差し止められた経過にあります。 その後、1900年以降になって、官庁・大企業・大店舗で急速にEV設置が拡大し始めました。1911年、東京日本橋の白木屋で稼働したのがデパートへ設置された最初でした。当時は、EVのカゴと床に大きな段差ができないよう乗降客の重量を考慮しながら、運転者が操作で調節する乗務員を乗り込ませていました。 この頃から国内EVメーカ「三菱電機」・「日立製作所」・「東芝電気」などがEVの製造を開始し、戦後の日本経済復興と共に普及、技術と性能の向上が一段と進みました。EVのスピードと安定性は日本が世界No.1と評判になったのは1993年、横浜ランドマークタワーに設置したEV(三菱電機)の速度が毎分750mを記録したころでした。その後2004年、これを上回る高速EVが「台北101ビル」で初稼働した情報に基づき、筆者は現地へ取材訪問を試みました。 台北1010ビルのEVは日本の東芝製であったこと、公表速度は毎分1010mでしたが、当初の上昇速度は毎分750m、下降速度は600mで稼働させていました。現地技術者に理由を尋ねると、あまり速すぎると気持ち悪くなる乗客が出るので能力を落として稼働させているとの回答でした。このEVの現在の上昇速度は毎分1010mを達成したようですが、下降速度は今もランドマークEV以下と言われています。高速を出したEVを安全に停止させる技術のほうが難しいため、下降スピードを遅くするケースは多いようです。 2014年現在、上昇と下降が同一速度で世界最高速の実績は、ランドマークEV(三菱電機)であるようです。乗り心地の良さを徹底して追求してあり、EVカゴの床に10円玉を立てて置いて昇降しても、コインは倒れないほど振動のない実験に成功しています。 国内で2番目の高速EVは、2012年に開業した東京スカイツリーEVで、毎分600mの速度です。一般のマンションやオフイスビルのEVは分速30~60mなので、ランドマークやスカイツリーのEV速度は10倍以上で、いかに高速な走行かはお解りでしょう。 2016年、中国広州市にオープンする「広州周大福金融中心ビル(地下5階・地上111階・高さ530m)」へ日立製作所が世界最高速のEVを納入する予定です。毎分1200mの超高速(時速72km)。世界一の高速走行、安全性、快適性を目指した開発が進んでいます。 地上の電車や自動車は「面の交通機関」であるのに対し、EVは私たちの日常生活に不可欠な「縦の交通機関」として活用され発展を続けています。今後はさらに技術・スピード・快適性を向上させ、日本は世界各国の「縦交通」を先導する輸出国となるでしょう。

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