こんなはずじゃなかったシニアライフ 第4回「プライドと自己嫌悪」

原沢修一です。「こんなはずじゃなかったシニアライフ」 その第3回目をお届けします。

第4回「プライドと自己嫌悪」

見栄が言わせる「結構忙しい」

なんとなくふわふわと怠惰な日々が続いていた。或る日、図書館へ本を返却するために道を歩いていると、ふとめまいを感じ急に不安を覚えた。周りを見渡してみると景色が止まったように見えた。自分ひとり、誰も歩いていない。立ち止まってもう一度見渡して見る。「あ、いた」しかし私の年代の男性はいない。歩いているのは主婦や子供たちだけだ。同世代のみんなどこで何をしているのだろうか。久しぶりに既に退職している知人に連絡してみた。近況を聞くと、退職してからも野暮用なので結構忙しいと言うのだ。他の人たちも同じなのだろうか。何が忙しいのだろうか。私は時間が有り余っているというのに。退職して5年経つというゴルフで知り合った通称自由人にその話をしてみた。自由人曰く、「自分は暇を良しとし、ストレスを感じることはない。普通我々の年代は何もしなくて暇だということに対し罪悪感を抱くものだ。働いている人は別として、まあ忙しいと言っても大した用ではないよ。孫が来るとか、旅行に行くとか、とりあえず“俺も結構忙しんだよ”と言うのは定年退職初心者がよく言う、季節の挨拶のようなものだ。会社勤めを終えた男の一種の見栄みたいなものだな。やっぱり暇で何もすることがないとは言いたくないよ。1年くらいのリハビリ期間が終わればそんなことは言わなくなり、暇と仲良くなれるよ」そう言われても、別に暇と仲良くしたいわけではない。

自己嫌悪

その晩床に就いた時に、周りの景色が止まって見えたときと同様の不安に襲われた。自分はこのままもう終わりなのか、なぜそんなことを思うのか、好きなことをやればいいじゃないか、退職する前にいろいろ考えていたことはどうしたのだ。何一つ思ったようにできていない。なぜだ、たった3か月しか経っていないというのに。近所の奥さんに「今何をしているの?」と聞かれる。「何もしていない」と答えると「あら、いいわね」などと言われる、そして妻の視線。以前よりプレッシャーを感じるようになってきた。あんなに求めていた自由が手に入ったというのに。私の中には“何もしない自由”もあったはずだ。悶々としているときに、元会社の同僚から仕事上のことで電話が入った。退職するときに「逃げ切りましたね」と言った彼である。仕事の話が終わると、彼は「今どうされているのですか?」と聞いてきた。「特にやっていることはないが、それなりにやることはあって結構忙しいよ」とつい見栄を張ってしまった。「羨ましいですね、うちの会社は今大変ですよ」と言って電話を切った。忙しいと言いながら具体的なことは何一つ言えない自分に自己嫌悪し、後味の悪い会話になってしまった。退職前の溌剌としていた自分は影をひそめ、最近の自分はいつの間にかネガティブ調になっている。

私の居場所は我が家?

今から考えると、会社というところは学校のクラブ活動のようなところであった。いろんなクラブ(会社・部署)がありそれぞれに所属し、目的を持ち目標に向かってより良い成績を目指し活動し、次々と卒業(定年退職)していく。学校には先輩がいて教師もいる、会社も先輩がいて上司がいた。時には部下や後輩を先輩として指導してきた。それぞれ目標を達成するための、お手本が常にあった。退職後、目的や目指す目標もなく、やみくもに時間を消費することのみに邁進してきた。しかし3か月経って噴出してきた問題や違和感が少しわかってきたような気がする。今まで家よりも会社の職場が自分にとっての居場所であった。1日のうち大部分を職場で過ごし、そこに生きがいが有り、社会的役割があった。退職後の居場所は我が家?どうも違うような気がする。

なぜ見栄を張るのか?

なぜその必要があるのか考えてみた。暇で何もしていない、やることがない、引きこもりになりそうだとは言えるはずがない。生き生きと第二の人生を過ごしていると見られたいと思う気持ちが強かった。一方で、そんな状況を客観的に見て許せない自分がいる。近所の人や妻の視線だけではない。周りが見えない自分だけの目線でものごとを考えていたことが自身にストレスを与えているとは気付かなかった。

※次回、第5回は「いまだ方向定まらず」 バックナンバーはこちら

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