朝散歩『目黒川を行く4』

ドブ川を清流に復活!
今朝は6時過ぎに小雨が振り出したが散歩を決行する。
三宿、池尻の中間辺りで三つの川が合流して「目黒川」となることはすでに触れた。
戦後は上流の川が暗渠化して生活排水が流れ込み、私が小学生の頃の目黒川は汚水と悪臭のドブ川と化していた。
 1995年 <河川清流復活事業> で大半の水は「東京都下水道局落合水再生センター」から1日あたり3万立方メートルを購入して流している。
 最初は山手通りの下を掘って大橋あたりで汲み上げていると想像していたが、調べてみたら、落合から明治通りの地下を経由して渋谷川に入り、並木橋辺りから一端地下で大橋まで戻し、大橋の真下から地上へ汲み上げていることが分かった。
 東急東横線鉄橋下で、もう一つの支流「蛇崩川」 (水源地は世田谷公園) が合流しているが、増水した時のみ水門が開くらしい。
 駒沢通りの「さいちか橋」を通過して150m先に広い「船入場調節池」があり、そこから川幅が広く深くなる。
 東京湾の満ち引きが影響して水位が上下する。今朝は7時過ぎが干潮で水位が下がり流れも止まっていた。
豪雨で氾濫を防ぐため地下に貯める構造になっていて、船入場の上は「水の資料館」というレンガで造られた公園もある。 
調節池には鯉等の川魚、季節によってはボラの子の大群が回遊するので、水鳥や白鷺、川鵜、カモメが集まり餌を漁っている。
「船入場」の名称が残っているのは、昔は川下から荷や人を運んでいたからだ。小学生の頃には自宅付近の「田道橋」と「目黒新橋」にも船着き場の跡が残っていた。
「船入場所調節池」の先、「田楽橋」の左一帯が防衛省の施設や幹部学校。戦前は海軍基地、隣の「東京共済病院」は海軍病院だった。
 大橋から中目黒まであった桜並木は、1944~1945前頃だったか、ここから両岸に遊歩道と桜並木を造り、それを東急目黒線の鉄橋まで(目黒区内)伸ばして現在の美しい桜並木の名所となる。

写真は、蛇崩川合流の「宝来橋」、駒沢通り「さいちか橋」、船入場調節池、「船入場橋」、水の資料館、「田楽橋」、「なかめ公園橋」、広大な防衛 省敷地

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA