「こんなはずじゃなかったシニアライフ」第8回「資格は取ったけれど」

元気シニアビジネスアドバイザーの原沢修一です。 「こんなはずじゃなかったシニアライフ」その第8回目の、原稿お届けします。

第8回「資格は取ったけれど」

友人が背中押してくれた転機

資格を取って近くの女子大で学生の就職支援をするつもりだったが出鼻をくじかれた。私にとっては良い条件だったので残念だ。そして相変わらず測量のバイトをしている。 「資格は取得することがゴールではなくスタートである。これから先は約束されたものではなく、どう生かしていくのかは本人次第である」と養成講座の先生は言っていた。 合格した頃は合格と達成感に酔っていたのだがその酔いがさめるには時間はかからなかった。測量の仕事を手伝い始めて1年近く経ち、今年の年末には はれて還暦を迎える。慣れはしたがやはり体力的につらい。真夏の炎天下、真冬の北風の中の作業は特にキツイ。現場から帰る車中で米山は「資格を取ったのだからその仕事をしたほうがいいよ、人手は何とかなるから」と言われた。 続けて「原沢が本当にすることがなかったならこのままずっとパートナーとしてやっていくつもりだった。だから工事設計図の見方まで教えたし、1人で法務局にも行ってもらった」と彼は言う。私が無理して測量の仕事をしていると感じていたのかもしれない。 そして「せっかく苦労して資格を取ったのだから何かしないともったいないよ」とも。 私はちょっとジーンときてしまった。昔から優しい奴だったけれど、40年以上の付き合いの中で私は彼のために何かをしてあげたことがあっただろうか。貴重な体験をさせてもらったこの1年、面と向かっては言えなかったが本当に彼には感謝、感謝である。 あ、そうだ、こんなこともあった。発注元の自治体の職員が還暦近い同級生が一緒に作業しているのを見て微笑ましいと言ってくれた。いいコンビに見えたらしい。

新たな模索はポジティブに

測量の仕事をしながらも自分のカウンセラーとしてのビジョンをどのように描こうか考えていた。最初はカウンセリング協会の斡旋により、週末に大手求人情報会社が大学生や転職者向けに開催する就活セミナーなどにカウンセラーとして参加していた。 定期的にあるわけでもなく仕事としては物足りない。養成講座の講師も言っていた「資格をどう生かしていくのか」そう、待ち姿勢ではだめなのだ。 自分の中でネガティブ調からポジティブ調にギアチェンジした瞬間だ。今にして思えば、退職前の「男のロマン」はどこに行ってしまったのだ。思ったようにことが運ばない、こんなはずじゃなかった退職後の人生。 「男のロマン」なんて空想の世界だったのか。自由になってあんなに晴々しかった気持ちはどこに行ってしまったのか。 「するも自由、やらないも自由」と言ってみたものの、その意味すら分からなくなってきた。目標もなくすることのないことがこんなにも不安になるなんて。町を1人で歩いていた時に、突然得も言われぬ不安に襲われたことを思い出す。 それから比べるとちょっぴりビジョンが見えてきそうな気がしてきた。何かを模索し考えているときはそれなりに充実した気分でいられる。 なりたい自分をイメージすることは簡単ではない。具体的にイメージできた時に目標ができる。 我々の年代は自由=暇である。自由(暇)があることは良いことだ。これを手に入れたかったはずだ。にもかかわらず有り余る自由(暇)は不安を引き起こす。それを「羨ましい、贅沢だ」という人もいる。うまく楽しんでいる人もいるだろう。私は元来じっとしていることが苦手だ。 子供の頃は「落ち着きのない子だった」と母は言っていた。普通の人以上に何もすることのない自分に肯定感を持てなかったのかもしれない。回遊魚のマグロと同じだ。常に動き回り、止まってしまうと死んでしまうような気がする。 「男のロマン」をほとんど実践できずにいるが、それに代わるものを見つけないと私は死んでしまいそうな気がした。資格を取得して1年が経っていた。

仲間の存在

仲間の存在は目的に向かって共に行動することによって意識される。気のおけない友と行動できた私はラッキーだった。会社という組織を離れ現在、新たな仲間の存在が必要になってくる。

定年後の自由とは?

本当の「自由」の意味がよくわからなくなってきた。きっと目標や目的を持って行動している人に与えられた権利のような気がする。

※次回、第9回「偶然の妙味と化学反応」 バックナンバーはこちら

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