「生きざま、死にざま~発想の転換~」 (日本元気シニア総研 医療分野担当研究委員 松尾厚二郎)
■“死”について話すのは、昔タブーだった。今でもTPOによっては抵抗がありますよね。
上智大名誉教授、ドイツ人哲学者のアルフォンス・デーケン博士の講演を最近拝聴した。先生は、「死生学」の教鞭を40年執っておられた。
キラーコンテンツは、“よく生きよく笑いよき死と出会う”ことだと。
(このタイトルで、先生のご本が新潮社から出ている)。
死を考える事は、よりよく生きるためには必須なのだ!この為の啓蒙を熱く語られている。
■最近、関連した話題が多いように感じる。
終活、終の棲家、映画おくりびと、エンディングノート、遺言状、狭義の自分史、シニアライフのスターティングノート・・・
今年の11月19日に、一般社団法人国家ビジョン研究会が主催して、「超高齢社会における生きざま、死にざま」と言うタイトルで、大きなシンポジュムが、衆議院議員会館で開催される。
「死にざまの医学」(NHKブックス)の永田勝太郎先生、在宅診療の先駆け太田秀樹先生始め、世界的に高名な先生方、元厚労官僚トップ・・など出演者は多彩だ。
私もこの研究会の医療・看護・介護分科会に、主任研究員として参加している。
■さて、“生きている今は死への準備期間だ“とする見方があるなら、今何を為すべきか?
最近少し意識して、今までの専門分野(と勝手に思っていた)、本業とは全く関係ない分野に極力時間を割くようにしている。例えば、
~個体として、脳の全能力の何%を、ヒトは使っている?
たかが5~10%に過ぎない!(アインシュタイン、ダビンチ、エジソンでも)
なら、その顕在化されていない潜在能力を、たとえ1%でも引き出すことは、年齢に係らず可能なのだから、この能力をどう引き出し、また何を為すべきか?
これは研究し、実践に値することではないだろうか。また、
~第3の人生を大切に!
生きざまの最終コーナとして真摯に取り組み、この為には少しの独善は許容されるのではないか。
これには、ある規範を置いて、今までの発想を転換しなくてはならない。
・手放す心、執着を断つ
・許しと和解、狭く囚われない
・ユーモアに満ちた人間関係・・・
■この発想の転換により私が持っているイヤな面が少しは軽減され、新たに具備すべき資質が会得できれば価値はあるだろう。
現状はこう(こう着した左脳人間)ではあるが、“にもかかわらず”、ユーモアのある、笑いのある第3の人生を追求したいなと、真に思う
最近の挑戦例:マジック、料理、浪曲、朗読、川柳、家庭菜園・・・恋愛小説の電子作家(笑)・・・。
さて、皆さまは、如何お考えでしょうか?