朝散歩 『目黒川を行く 5』

 昨日の雨で我が家の紫陽花は満開となった。 
18年も咲き続けている自慢の純白だ。
昨夜の雨で目黒川は濁っていたが今日は自宅周辺を歩く。 
この辺りは昔から「田道」と呼ばれ田んぼと牧草の湿地帯だったらしい。 
終戦2年目、6歳の時、親爺が麦畑の中に木造平屋を新築した。 
ここ辺りも焼夷弾の爆撃を受けて家はまばらで焼け跡の名残と自給自足の野菜や麦畑が点在、徒歩2分の目黒川は悪臭とどす黒い水が流れ住民からは近づき難い嫌われた川だった。

私の通った「田道小学校」と川の間に工場跡の広場があり、上級生と草野球をするのが唯一の楽しみ。 
当時まだ貴重品の軟球ボールが目黒川に落ちると拾えないのでなおさら恨みの川だった。 
広場にネットが張られ正式なグラウンドとなったのは息子達が少年野球を始めた時代だから大分後になってから。

江戸から明治、大正時代の目黒川が美しいかった頃、歌川広重の錦絵を郷土史で見た。
随所で望めた<富士山と桜並木><太鼓橋に積もる雪>。 
その内の一枚<目黒千代が池と滝>の大名屋敷跡の池は自宅裏の坂道の途中にあり、当時流れ出る水は自宅横の小川となって目黒川へ落ちていた。 小川には小魚やエビが泳ぐほど清んでいた。

上流から23番目の橋が「中里橋」、防衛省横の「新茶屋ヶ坂」に架かる。その100m下流には「田道橋」、あの名作落語『めぐろのさんま』の発祥地である「茶屋ヶ坂」は母校「田道小学校」の正門前から300m先に位置し、斜めに登る急な坂。

子供の頃野球をした工場跡の広場は私が30歳になったころ整備され、その一部は高齢者の施設「ふれあい館」となった。 
「ふれあい橋」を渡った目黒川の対岸には立派な目黒区民センターが建てられ、スポーツジム、プール、テニスコート、図書館、コンサートホール等々憩いの施設がある。 
社会人時代は忙しくてほとんど利用していなかったが、住むのには環境の整った素晴らしい住宅街だ。

写真は、我が家の紫陽花、中里橋、田道橋、ふれあい橋、広重の錦絵3点、

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今日の朝散歩で綴った「千代が池」は現在目黒区庁舎別館、警視庁の研修所。

付近で郷土史のプレートを見つけました。 住所は:目黒1ー1です。

元気シニア俱楽部 研究委員 福永邦昭より

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