朝散歩『 目黒川を行く 8 』
巨大石の運搬は馬車か、船か?
目黒川は、江戸時代から昭和の初期頃まで主に上流は感慨用水として中下流は運河として利用されていた。
上流は中目黒の「船入場」、「田道橋」、「目黒新橋」そして「市場橋」に船着き場があった。 都会化が進み水質の悪化や水量の減少で1995年 (平成7年) 「清流復活事業」が開始され、毎年この時期に川底を掘りヘドロを取り除いていることは以前にも触れた。
今朝も東京湾の干潮が11時14分なので水位が低く水が濁って臭い。 上流から26番目の「目黒新橋」と次の「太鼓橋」付近まで潮の満ち引きに大きく影響を受けるが、川底
か幾つも残っている。この沢山の石を運んだのは当時船なのか馬車なのか?興味深い。
東急目黒が顔を出すまでにはいかず、桜の開花季節に復活した花見遊覧船が東京湾の河口からここまで上がって来る。
「太鼓橋」から次の「東急目黒線鉄橋」まで300mの左側に「目黒雅叙園」がある。 現在、建物は立て替えられ、東京都の文化財に指定されている「百段階段」のみが残っている。
元の「目黒雅叙園」時代の庭園から流れる「三田用水」が目黒川に落ちる所に巨大な石線の鉄橋と並行して架けられた「亀の甲橋」から下流は豪雨で増水するため今でも氾濫する危険地帯である。 ここから品川区、続きは明日。
写真は、目黒新橋、太鼓橋、目黒雅叙園、巨大石、石の奥に昔の中庭の橋、目黒線鉄橋、亀の甲橋、清流復活事業看板、水位警告看板、対岸から雅叙園とアルゴタワー、太鼓橋。