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古代の繁栄を追体験する旅~ローマ編~(研究委員 斉藤正洋)

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ローマ街道を歩いてみました

「全ての道はローマに続く」という言葉があります。これは当時の古代ローマ帝国が領土に張り巡らせたローマ街道の事なのですが、あまりにスケールが大きなため、文化や文明を含めた拡大した解釈が一般的です。

実は、古代の日本にも、こうした現代の高速道路のような道はあったようです。統治していた領土が分裂したため、自然に消滅してしまったようです。

アッピア街道へは地下鉄とバスで行けます

現代のローマ市内を走る地下鉄B線のピラミデ駅を降りると、アッピア街道の起点のオスティエンセ門があります。当時の政治の中心であったフォロ・ロマーノや庶民の憩いの場であったカラカラ浴場も歩いていける距離です。ローマ街道で最初期に作られたアッピア街道は、ローマ近郊ではかなりの部分が残っています。場所によっては農道であり、場所によっては別荘地であり、生活道路であったりします。

ピラミデ駅からバスに乗り換えて、アッピア街道をしばらく走りました。ガイドブックには、教会やカタコンベがあると書かれています。行った事がないので、なんとなく面白そうなところで降りようと思いました。道は石畳。バスが窮屈に走るような石畳の道を進みます。両側には、住宅の壁。裏通りのような雰囲気の旧アッピア街道の石畳をバスは飛ばすので、ガタガタ揺れます。

5回くらい停まった後、道路がちょっと広くなりました。停留所で半分くらいの乗客が降りたので、なんとなく自分たちも降りました。カタコンベのようです。カタコンベは、死者の骨を集めて教会の地下に保管している場所です。何度か他の国で見ましたが、キリスト教信者でない私たちには、あまり意味が分かりませんでした。ちょっと日差しが暑かったのと、入場料が高かったので教会とカタコンベは外からだけ見て、アッピア街道を歩く事にしました。

ローマ街道とは何だったか

ローマ街道の特徴は、直線なところです。ほとんど曲がりがないという事はスピードを落とす事なく移動が出来るという事です。古代の高速道路は定期的に整備されて、石畳が減って轍が出来れば修復していたので、現在の遺跡のように凸凹になっている状態ではなかったとの事です。さらに両側には西洋松が植えられて、通行する人々を太陽の強い日差しから守る工夫がされています。

古代遺跡のお勧めする見かた

古代遺跡を旅するとき、お勧めするのは当時の風景をイメージする事です。西洋の古代遺跡を見る機会が少ない東洋人にとっては、柱だけが残っている遺跡を見て、古代もそうだったと思ってしまう人が少なくないからです。有名なコロッセオですら、今は外壁が剥がされてぼろぼろに見えますが、当時は大理石で覆われた現代でも見劣りしない建物でした。フォロ・ロマーノは柱だけが残っていますが、実際には石積みの屋根が回廊に沿って続き、床は大理石の建物でした。古代ローマが滅亡した後、キリスト教の時代になって教会の材料に剥がされたのです。ローマ市内にある、2000年前そのままの遺跡、パンテオンを見れば納得出来ると思います。

想像力を働かせて、当時のアッピア街道を見ると、気がつく事がありました。当時、道路は輸送だけでなく通信網でもあったという事でした。電信・電話がない時代、通信は郵便になります。情報はローマ街道を通って伝わります。巨大なローマ帝国が繁栄した理由は、まず情報を制したからではないかと思いました。

なぜ、そんな知性をローマは持っていたのか…美しい田舎の道のようなアッピア街道を歩きながら興味は広がっていきます。

風景はこんな感じです。ご参考にしてください。
http://www.saitoon.com/AftertheWorld/rome-via-appia/index.html

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