「こんなはずじゃなかったシニアライフ」第10回「講師デビュー(1)」
第10回「講師デビュー(1)」
決断はちょっとした勇気
講師というものに多少興味があった。言わば憧れのようなものだ。そう簡単に自分にできるとは思えない。どうしたものか悩んでいた時に、ふと桜井さんのことが頭に浮かんだ。彼女だったらこの件についてどんなことを言うだろうか非常に興味があった。連絡をすると快く応じてくれ、また勤務する大学の近くでランチをすることになった。私は講師のオファーを受けた経緯を話した。講師の経験がないこと、人前で話すこと、講座の進め方、資料作成のことなど、とにかく不安を並べ立てた。じっと私を見ながら聴いていた彼女は私が断ることの理由を見つけているのかと感じたのかもしれない。彼女は思ってもみない一言を発した「まあ、羨ましい、そんなオファーが来るなんて」私が「エー!」という顔をしていると、「だって、私の仲間でも講師をやってみたいと思っている人はたくさんいるのよ」「なかなかそんなチャンスはないのよ」「資格を取って1年くらいでそんなチャンスに恵まれるなんて本当にラッキーなことよ」「このチャンスを逃すと、きっと後悔することになるわよ」「どんな講師でもデビューの時は緊張と不安で一杯だったと思うわ」「原沢さんなら大丈夫よ、今でしょ!せっかく取った資格を生かすのは」 黙って彼女の話を聞いていたが、親子ほど年が離れているにもかかわらず、叱咤激励されてしまった。気丈で率直に物言う姿勢はさすが道産子。単なるマドンナではなかった。見方を変えなければ。 そんな彼女に私から「桜井さんは講師に向いていると思うけどどう?」と勧めてみた。「私は無理、だって人前で話すのは大の苦手だから講師はできない、無理」と拒否。「本当にそうかなあ、そうは見えないけどなあ」と思いつつ、いつか機会があったら彼女も引っ張り込んでやろうと考えていた。自分にとって冒険なことであり勇気のいることだったが、彼女の後押しもあり講師を引き受けることにした。
60の手習いにお付き合いしてくれた先生
さあ、それからが大変。人材派遣会社の担当者は丸山さんという50代のカウンセラーの資格を持つ女性であった。丸山さんからは、私のような年配者は「今までの経験や価値観や実績に執着し振り回す人が多い」と、まずカウンターパンチを食らう。そして「今回の講座が初めてなので、などとエクスキューズをしないこと」「私たちはお金をもらう立場、相手から見ればプロだということを自覚すること」「それから絶対失敗しないでください。失敗すると二度と仕事は来ませんから」と厳しく指導された。まるで脅しである。気持ちが萎えた。しかし引き受けた以上逃げるわけにはいかない。講座は3か月後である。その間、初めて講師をする人向けのハウツー本を読み、経験者から話を聴き、資料作りに欠かせないパワーポイントの勉強をした。今回の受講者を想定しながら作成した資料を、丸山さんにチェックしてもらい何度もダメ出しを食らった。最初の頃は一生懸命に作成したものをいとも簡単にNOを出された時はさすがにムッときた。丸山さんの言う年配者に対する懸念が頭を持ち上げてしまった。「いかん、いかん」丸山さんは講師のベテラン、初心者の私にとっては先生なのだ。私の知らないことを教えてくれる人は年齢に関係なく全て先生と思うようにしよう。そう思ったときに急にストレスが取れ楽になった。「大変良くなりましたよ」とやっとOKが出たときに、厳しい指導のおかげで、自分でも気づかなかった執着心のようなものが少しずつ削ぎ落とされたような気がした。 資料作りは、作成の過程で話す内容を整理し、頭の中に刷り込んでいく作業、言わば講座の生命線である。資料作りが終わると次は講座の進め方である。丸山さんからは進め方や時間配分、それに「アイスブレイク・ワークショップ・ファシリエーター」など耳慣れない 講座に必須なことを学ぶ。通常の仕事の合間に時間をつくってくれ、覚えの悪い私に厳しいが嫌な顔一つせず辛抱強く指導してくれた。講師養成所のプライベートレッスンに通っているようであった。これは私にとって非常に幸運なことであり、財産になったことは言うまでもない。講師デビューまで1週間。何度も何度もシミュレーションを繰り返す緊張の日々が続いた。
次の一歩はちょっとした勇気人の話を素直に聞くことのむずかしさ。年齢を重ねるにつれなかなか次の一歩が踏み出せない。無理することはない、冒険することはない、と思うのが普通だ。しかし「ちょっとした勇気」が次の行動を呼び起こし思いもよらない第二の人生に導いてくれることもある。
※次回、第11回「講師デビュー(2)」