「こんなはずじゃなかったシニアライフ」夫婦編 第19回はキッカケは「ちょっとした勇気」

元気シニアビジネスアドバイザーの原沢修一です。「こんなはずじゃなかったシニアライフ」夫婦編、その第19回目の原稿をお届けします。

「ありがとう」の壁

「お父さんが私に田舎に行ってくれて有り難うと言ったんだよ」と娘が妻に話したと言うのだ。娘も妻も私が「ありがとう」と言ったことに対し同様に驚きをもって受け止めたのだ。このことはいったい何を意味しているのだろう。それほど家族に対して思ってはいても口に出して感謝の気持ちを伝えたことはなかったということか。 普段「ありがとう」や「サンキュー」と軽く言っていたことはあったが、今回はそれとは違う感覚だった。「・・・をしてくれてありがとう」と具体的に相手の労をねぎらう感謝の言葉がちゃんと伝わったからではないかと思う。普段使いの「ありがとう、サンキュー」と、労を認め、ねぎらう「・・・をありがとう」は使い分けることが必要なのかもしれない。「ありがとう」がこんなにも夫婦の間の壁になっていたとは、ようやく今になって気がついた。

ちょっとした勇気がもたらす変化

よく相手を変えるためにはまず自分が変わることが必要だと言うが、言葉では理解していても本当のところどうしていいのかわからなかった。しかし「ありがとう」が少なからず自分が変わるキッカケになり、我が家族にも少しだけ変化をもたらしたことは確かである。 事実、最近家族との会話が増えたような気がする。或る日突然、妻は「何か不満があるなら言って」と、いくつか事例を挙げて「こんなことが不満なんじゃないの?」なんて言い出した。私はびっくりした。「とっさにお前はどうなのだ」と切り返すと「あなたが言った後に言うわ」と、それって後出しジャンケンじゃないのか。ちょっとずるいと思いつつも、こんな会話は結婚してから今までした記憶がない。夫婦間で言いたいことを言い合えることがこんなにも難しかったとは。やっぱり少しだけ変わったのだ。このとき変化を確信した。 「ありがとう」という言葉の持つ力。それを言うちょっとした勇気が変化のキッカケを導いてくれた。そして田舎で会った93歳と86歳の叔母の存在も重要な役割を果たしてくれた。 不思議なものである。今まで夫婦間で言えなかったことや言いにくいことが少しずつ言えるようになってきた。話し合う機会が増えた。それに娘も加わるようになってきた。 結婚してからというもの会社社会と専業主婦の全く違う世界で1日の大半を過ごしてきたのだから考え方や行動や価値観が違ってくるのも当然なのかもしれない。結婚当初に思っていた「喜びは倍に悲しみや苦労は半分に」などと言っていたことは何処へやら、喜びや悲しみを共有することを忘れていた。そしてお互いを認め、感謝し合う「ありがとう」さえも忘れていた。

認め、ねぎらう言葉「ありがとう」

感謝の言葉、相手の労をねぎらう「ありがとう」の効用は他にもある。今まではあまり意識して言ってはいなかった「行ってきます」「行ってらっしゃい」「ただいま」「お帰りなさい」「いただきます」「ごちそうさま」などは全て「ありがとう」に通じる。「ありがとう」を素直に言えるようになってからは、具体的に何に対する感謝の気持ちなのかを頭に浮かべ、それから言葉にして伝えることを意識するようになってきた。食事をするときも今まではテレビを見ながら黙って食べていたのだが、最近ではこの料理はおいしいと褒めることもできるようになってきた。ただこんなこともあった。夕食の時出てきた豆腐を食べながら「この豆腐美味しいね」と言ったら、すかさず「お父さん褒めるところが違うよ」と娘が一言。手をかけて作った料理を褒めるべきと言いたいのだろう。一本取られた。しかし妻の反応は違っていた。自転車で10分もかけて手作りの豆腐屋さんまで行って買ってきたと言うのだ。もちろんそんなことを私は知らない。妻にしてみれば少し労が報われたのかもしれない。そう、ほんのちょっとしたことなのだ。豆腐がおいしいと言っただけで会話のキャッチボールができるのだ。

◇過去にも「ありがとう」と感謝を込めて言うべき機会はあったはずだ。あまりに近い存在ゆえに、かえってためらいや照れくささが邪魔して言い出せなかった。一度口に出して言ってしまえば邪魔していたアレルギーもなくなり、少しずつだけれど素直に感謝の気持ちを「ありがとう」「おいしかった、ごちそうさま」と伝えることができるようになってくる。 次回は第20回「結局二人で生きてゆく」 バックナンバーはこちら

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